富山4

富山で神通川をぼーっと見ながら、

ふと思った。






これから、かつてこの川を舞台に起こったことの全国版、

もしかしたら世界規模版が始まるのもしれない。




それ見たことか、と鬼の首を取ったように。

許せない、立ちあがろうといったように。






でもその「鬼の首」も、度合いやタイミングまでもが

周到に用意されたものかもしれない。




まるで濃い酸素の中にぶっ込む、火花のように。

もしそうなら、「酸素」には何が該当するだろう。









自分の中では経験的にはっきりしているのだけれど、

そうした行いは当人にとって、自滅への道。






一人でも相当なパワーなのに、

それを集団でやった時の影響力は、

想像がつかない。






たまさかそれに「勝った」としても、

それでハッピーエンドというふうにはならないんじゃないのかな。




行動源となるその感情が沸き起こった「真の原因」は、

当人が勝った対象にはないから。









それも当人の選択の自由と前置きした上で、

そこまで自分を追い込まなくてもいいんじゃないのかな。

だってまだちゃんと生きているのだから。






あの時の選択をやっちまったなと思うのなら、

この今の選択をやっちまったなと思わないようにしていけばいい。




そうしたら「この今」がいつか「あの時」になった頃、

あの時の選択をやっちまったなと、また思わずに済む。









24時間365日とまではまだなかなかいかないけど、

私はそんなふうに思って日々過ごしている。




このブログはそうしたわたしの、

「続きの足あと」でもある。