ちょうど節目でもあるのだろう。
最近いろいろな出来事が重なって、
今までしてきた選択についてこれでよかったのかなと、
2週間くらいずっと考えていた。
頭で適当な理屈を付ければYesにもNoにもできるし、
そんな答えに意味はないとわかっているにもかかわらず、
今回は何か納得のいく「答え」がほしいと、
とうとうある日強く思った。
それから3〜4日くらい経った年度末の日、
帰宅したら娘がおとうさんにプレゼントがあるよと言って、
手紙をくれた。

丁寧な文字がぎっしり詰まった便箋が3枚。
埼玉の頃と信州の今のわたしを見た時の娘なりの素直な感想の変化に加え、
このブログにも断片的に書いてきたような、
わたしがここ数年大切にしてきたことについて一つ一つピックアップし、
その一つ一つにありがとうと書いてあった。
生まれて9年と1日の児童も、
親の振る舞いの一つ一つをこうもきちんと汲み取るんだなと、
うれしい驚きとともに、学んだ。
手紙の最後にはこう書いてあった。
「このてがみをかいている、いみが分かればいいんだよ。」
…はい。
すぐおねーちゃんのマネをする息子も、
頑張ってひらがなでびっしり書かれた便箋1枚分の手紙を。

自分から自然と洗濯物を干し始めたり、
稀に夕飯をつくり始めた姿を見た奥さんにもこの前、
「ミジンコからオランウータンに急に進化した」と言われた。
これは最大級の褒め言葉と解釈。
2020年の結婚記念日。
あまりにしんど過ぎて具体的なシーンが何一つ思い出せないけど、
もう二度とこんな思いはしたくないという強い想いだけが、
心に深い跡として鮮明に残っている。
あれから2年半近く。
失いたくなかったものも失ったけれど、
いちばん失ってはならないと思った何をするにも土台となる部分については、
失わずにちゃんと根を張って築かれてきたんだな。
自分然り。家族然り。
やっとここまできた。
やっとここまできた。
