でもやっぱり、
いつもの米くらいがちょうどいいなと思った。
今はまだこの「最上級米」を食べ始めたばかりだから感動してるけれど、
だんだんとその感覚も薄れ、
じきにその味が「当たり前」になってくる。
ありがたみを感じにくくなる。
常に自分にベストなものを、と言う方にとっては
それでいいのかもしれない。
でも自分は、
それはなんかイヤだなと。
「ほどほど」って、ガマンとは違う。
「その上」があるのを知った上で、
場合によっては「その上」がどんなものなのかも分かった上で、
「このあたり」がちょうどいいというのを、
主体的に選択すること。
人によっては、
「足るを知る」という言葉に置き換えるかもしれない。
んでもってまた「その上」がふと恋しくなったら、
その時にスポットで再会すればいい。
それなら「日常のありがたみ」も「非日常のありがたみ」も、
どちらもエンジョイできる。
言うてもスーパーで売ってるものの1.5倍の値段のする米なわけで。
また「いつもの味」に戻る日を、
ちょっぴり楽しみにしている自分がいる。
