そうやって経験の価値を再認識したときに、
もう一つ大切だなと感じるのは、
他者の経験について。
自分が自分なりの経験をしているように、
他者は他者なりの経験をしている。
文字で書いてみるとごく当たり前のように見えるけれど、
「自分の経験」にようやく自覚的になって間もない身としては、
ややあって「他者の経験」に自覚的になり始めたとき、
今までの自らの振る舞いを顧みて、
とても当たり前とは言えない、
さまざまな感情が去来した。
他者の経験との関わりにおいて、
「ゆるやかな影響作用が生じる」くらいであれば、
時と場合によっては許容範囲かもしれない。
ただそれが、
「他者の選択権の侵害」にまで到るのであれば、
すぐさまバイオレーションのホイッスルが鳴っても仕方ない。
ヤマアラシの針毛は、
決して不自由さをもたらすジャマモノなんかではなく、
必要なときにいつでもホイッスルの代わりを務めてくれる、
大切なシグナルなんだと。
針毛で過去に負った傷は、
時が経つにつれて癒えていく。
それでも残った傷跡は、
大切にしまって生きていく。
