本や映画などはもうそれなりに、
自分にとってそれが心地よいものかそうでないか、
中身を観なくてもなんとなく感じられるようになった。
コンテンツそのものに限らず、
時にはそれを扱う店全体が…とか。
自分自身の中ではけっこうその感覚に自信を持てるのだけれども、
識別方法を言葉にしようと思うとなかなかむつかしいし、
それっぽく一般化してみたところで、
それが必ずしも当てはまるという自信もない。
フィーリングとしか言いようのない感覚。
少し前までは、
例えば自分にとって心地よくないフィーリングの映画を見つけた時、
怖いもの見たさで観てみようっていうこともあった。
でももう今はそれができない。
ひと昔前と比べて、
映像も音響も表現技術があれやこれやと誕生・向上したために、
受け手の中への深達度も軽視できないものになってきているというのもある。
そうした理屈を抜きにしても、
「お!」と好奇心で観てみよっかなと頭で思うところまではいっても、
ココロとカラダがついていかない。
気持ちがずっしり重たくなるし、
身体もまったく言うことを聞いてくれない。
実に素直な反応だなと思う。
もうそっちは必要ないんだな、
自分にとって心地よいフィーリングのものを選べばいいんだなと、
素直に解釈することにしている。
