こうした自分への問いかけに対し、
確たる答えを無理に出そうとしなくてもいいと思っています。
そうして自分に問うこと自体が大事かと。
それこそが、
“Think outside the box”の、
大切な一歩だと思うから。
昭和の時代はたしかに、
こうしたことを問う主体は叔父さんだという方が、
なんとなく話の体裁が整ったかもしれない。
でも令和の時代はもう、
それはコペル君自身で…という方が、
割としっくりくるんじゃないだろうかと。
もし自分なりの答えがネガティブなものに感じられたとしても、
悲観する必要もないと思っています。
事実は単に事実でしかなく、
そうした事実への悲喜こもごもの「味付け」は、
いかようにも変わっていくものだから。
むしろ自分なりの答えを直視する機会を得られた分、
それを自分の好きな「味つけ」にするチャンスが与えられたとも。