ONENESS

たまに自分でブログを書いておきながら、

「はて。この記事ははたして何ぞ?」と思うものがあります。



このブログは、特定の誰かに宛てて書くことは基本ありません。



もう少し正確に言えば、特定の誰かに書こうとしたとしても、

結果的にそうはならない/なれない。



かと言って不特定多数に宛てているのかと言えば、

そういうわけでもない。



そりゃそうですよね。

こんな田舎のおっちゃんが気まぐれで書く、

テーマはおろか、文体すらも一貫性のないブログでw



何に宛てて書いているのかも定まらないわけだから、

何にでも宛てて書いているとも言えなくもない。



それはもしかしたら、わたしになのかもしれない。

今のわたしかもしれないし、これまでのわたしかもしれない。



まあそんなあやふやなブログだし、年末だし、

例によってまた宛先も文体も定まらないものをひとつ。





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頭では分かっているつもりでも、自分事としてそれを体験していないが故に、

「その時」が来て初めてそれに纏わるあれやこれやが解るという性質の経験が、

時折生じます。




今朝目が覚めてはっきりと感じた「ゆずりは」も、

そんな経験のひとつでした。




でも今は本当にいい時代です。

長きに渡る人類史において、そうしたイベントには必ずと言ってもいいほど、

「死」というアイコンが伴うものだったことを考えれば。




こうして在るまま、在るがままに見かける「ゆずりは」があるのだということも、

わたしにとっては安堵と感銘の入り混じったような、

貴重な経験です。




これまでのことを改めて振り返ってみても、

この1年、3年、5年、10年どのspanで省みても、

あなたなくして今のわたしは在り得なかった。

それは何一つ疑いのないことです。




またすぐにわたしのmichiに戻りますが、

今はもう少しだけ。

二時間だけのノスタルジー。
















さて、そろそろ時間ですね。




言葉にせよ絵画にせよ音楽にせよ、

凡そ自分の楽器を奏でる人々の共通のジレンマとして、

果たしてこの「音」で伝わるように伝えられているのだろうか、

というのがあるような気がします。




まあそれも仕方のないことですね。

少なくともわたしにとっては「芸術は爆発」ではなく、

「芸術は抑制」なのだから。




これで大丈夫かな、伝わってるかなという潰えぬ心のざわつきに対しては、

ただあきらめる。

「諦める」というよりは、「明(あき)らかに観(み)る」という。




そうしてあきらめた上で申し上げます。




本当に、ありがとうございました。


本当に、長い間お疲れさまでした。



あなたなくして今のわたしは在り得なかった以上、

わたしも、あなたという存在の一部です。




♪花束を君に贈ろう

愛しい人 愛しい人

どんな言葉並べても

君を讃えるには足りないから

今日は贈ろう 空(くう)色の花束を君に