当たり前とは3

当たり前って、何なのでしょうね。





子どものため」、「親のために」って当たり前でしょうか。


田舎の山奥に引っ越すなんて子どもがかわいそう、という意見があるとしたら、残念ながら我が家にはそれは当てはまらなかったようです。


自然豊かな土地への移住は完全に私たち夫婦の希望でしたが、まあ子どもたちの適応能力なんて大人よりもはるかに高いし、だいじょーぶなんとかなるさーという感じでした。


家の周りが豊かな遊び場だらけになり、学校や保育園が数ある遊び場の一つとして絶対視する必要のない環境になった今の方が、結果的に子どもたちはそれらを自由に使いこなして楽しんでいる。




ある時期までは、家族や、村や、学校や、会社といった集団の論理が個の論理に優先することが当たり前だった。

実際、そうすることがみんなで生き抜くのに適していた時代もあった。

しかしあたらしい時代となり根本的なルールが変わった今、その慣習は控えめに言っても、みんなの利益にとっても足かせになることが増えてきた。

集団よりも個の論理が劣後すると自分で考えるインセンティブが働きにくくなるわけだから、そうした自分で考える力が鍛えられていない個で形成される集団そのものが劣化していくのは、自明な論理でもある。




冒頭の「子のため、親のため」論に関する、私の考え方はいたってシンプルです。

親のいちばんの幸せは、子が健康で幸せであること。

子のいちばんの幸せは、親が健康で幸せであること。

ざっつおーる。




何かの選択を迫られる岐路に立った時、自分の中の判断基準はこのくらいシンプルにしています。

頭で考えればこっちなんだけどなんだかそっちはモヤモヤとした感じがする、みたいな時にそれぞれの選択肢をシンプルな基準に当てはめてみると、本当にしっくりくるのがどちらか分かりやすいから。

あれこれ迷った末に、モヤモヤを無視して結局データやら何やらで自分を説得した方を選ぶと、経験上うまくいかないことの方が多かった。




別にそうやって痛い目に遭いながらいろいろ学んでいくのも人生の醍醐味だから、それもいいと思うんですよ。

取り返しのつくことならば



打ったら乗れるようになるのか、むしろ乗れなくなってしまうのか、どっちやねん(^_^;)