暁鐘3

私は、「みんなで、そこそこ」をふんわりとした合言葉にしています。




「みんな」を考える時、まずはいちばん身近なところから。



社会のため、世界のため…って素晴らしいなと思いますが、私の指針としてはしっくりきません。

まず自分が満たされ、次にいちばん近しい家族が満たされ…という順番でご縁をいただいた方々が満たされれば、私にとってはそれで充分。

あなたとは誰なのか」という問いを行動を伴いながら突き詰めていくと、ある時点でいちばん身近な「みんな」が「わたし」であることが腹落ちする日がきます。




「そこそこ」は、清貧に甘んじるのとはまったく別物。

このスピーチが言わんとしていることを、自分なりに煎じ詰めたもの。

今あるものに目を向けることが意識せずとも自然にできるようになってくると、ある時点で「そこそこ」のゆたかさが腹落ちする日がきます。





そして、「みんな」も「そこそこ」も、状況に応じて変動するパラメーター。


昨秋にボロボロの「みんな」に気づいた時、まず最小単位である自分と家族の集中ケアを心に決めました。


ここにきてもう大丈夫だなと思い、パラメーターを変えつつ新しい「現実の再配置」を始めています。

目先の3年あるかどうかの稀有な期間と、その後続く20年くらいを意識しながら。