ありかた

1日の午前と午後はぴったり半分ずつだけど、人生の午前と午後はそうとは限らない。

今回の人生という意味ではどちらが長い場合も、はたまた午前だけという場合もあり得るけれど、「全体」を敷衍してみればそのほとんどが午前であり、午後はごくごくわずか。

ゲームで言えばボーナスタイムであり、映画で言えば最終上映

午後になると、ある意味で何かを失くしたような感覚が生じる。

それは「主語」が主語でなくなるような、「目的」が目的でなくなるような感覚とも表現できる。



ひとたび午後に入ると、本質的にはもう午前には戻れない。

ただ午前の感覚を忘れてしまったわけでもなく、もう戻らないと思ってもふと気がつくと戻っていたりする。

感覚が分かる、気づけるということがポイント。
感覚そのものを自分と同一視している限り、気づくことはできない。
だからどちらでも好きなときに、好きな感覚を選べる。


そうなると生き方が、在り方が変わってくる。


自由のひとつの側面。